2時限目:大学で学ぶべき事。したたかさとか。
2限目の話題についてはかなり個人的なお話となりますので、信じる信じないは個人の自由として考えてください。
はてさて、いきなり留年の話から脱線しつつあるような気もするこの話題、大学で学ぶべき事とはなにかについてです。
なんでこんな話題を出しているかという話の前にすこし試験というものの性質についてお話しておかなくてはなりません。
皆さんも、大学における試験とはズバリ単位認定を受けられるかどうかが決定する最も重要な要素だという事はご存知のものと思われます。それは間違った認識ではありません。しかし、試験というものが必ずしも皆さんの努力を測るものではないという事をご存じない方が多いと思うのです。
「なんじゃそりゃ」と言われそうですが、現在の技術で人間の知能を正確に数値化する技術はないのです。テストというのは作問者のオーダーにどれだけ答えられるかという一指標でしかありません。つまり努力をしようがしまいがオーダーに答えられれば単位を取得できるし、答えられなければ単位はもらえないって事です。
なんでそんな話をするかと言うと、試験というのは作問者の意向に沿って作られるという事を前提として知ってほしいのです。
単位取得が上手く行かずに留年しそうな人や留年してしまった人はそこを勘違いしてしまっていませんか?某大な勉強をすれば受かるはずだとか、念ずれば花開くだとか思う前にしっかりと過去問やその先生についての分析を行いましたか?
試験を乗り越えるキーポイントはどれだけ勉強する内容を減らすか。そこにあると思うのです。闇雲にやるのは危険です。「頑張ったけど駄目でした」と言っても同情は得られても単位は得られません。進級も出来ません。
まずはその試験で何を求められているかをしっかりと認識し、試験にあわせた計画を立て、その計画に沿って努力をする必要があります。一見当たり前の話のように思われますが、案外意識してやった事は無いものです。
大学そのものも結果としてこういう考え方を生徒側に要求しているのではないかと考えているんです。
計画を立て、その計画に沿って実行する。また計画は自分善がりなものではなく、オーダーする側の意向に沿ったものでなくてはならない。
入試にしろ単位認定試験にしろ就職活動にしろ、それぞれのオーダーにあわせた努力をしてもらわないと評価のしようがないからです。
評価されたくばそういったしたたかな身のこなしが必要となります。そしてそのしたたかさこそが大学で学ぶべき事なのではないかなと思うのです。
必ずしも計画を立てる担当が自分自身である必要はありませんし、誰かとタッグを組んで少ない努力量で最大の効果を発揮できる場合も少なからずあります。
人間関係を否定して茨の道を行くより仲間を作ってチームで問題をクリアする方がずっと確実だし、何よりも楽だったりします。
計画を立てる能力だとか、努力する姿勢だとか、そういうものを大学で求められているというとすこし違います。
むしろ計画を立て、実行に移す段階までの全ての過程をひっくるめてしたたかにやっていける人材こそがオーダーなのではないかな、と思うのです。
「じゃあコミュ障には未来がないのか!」と言われると思うのですが、コミュ障であることに甘えている奴に未来はないということです。
いうなれば仲間を作る努力も必要な努力だって事です。
馴れ合いは嫌いだとか、友達なんかいなくたってどうにでもなるとか、実際それでいける人も居るでしょうけど、今上手く行ってない人がその方法を取るのは余りにもリスキーだと思いますね