7時限目:質問
仮の話をします。
もし、あなたが人生の失敗をやり直せるとすれば、一体何を代償として差し出しますか?
あなたは考えます。
1、2、3、様々な条件を考えます。
何を差し出しても構わないのに、なぜか自分にとって大切な存在ばかりが頭をよぎります。
4、5、6、様々なものが頭をよぎります。
そして結局はどれも手放せず、あなたは何も差し出せずに明日を迎えます。
「もしあの時ああしていればどうなっていただろうか。」
そんな不毛な想いに身を窶して今日を終え、糧の無い明日を迎えるのです。
代償なんて空っぽのCD-Rだって何だって構わなかったのに、あなたはそうやって人生の過ちを繰り返すのです。
あなたはもう失敗をしません。
今、この文章を読んだあなたはもう失敗する要素なんて無いはずです。
紙くずだって何だって差し出すでしょう。
では、あなたがやりなおしたい失敗はなんですか。
あなたは考えます。
1、2、3、あなたが経験した重大な失敗を考えます。
別に人生そのものをやり直したいと思えば済む話なのに、なぜか細々とした失敗ばかりが頭をよぎります。
4、5、6、様々な経験が頭をよぎります。
そして一つの答えにたどり着きます。
それはどのような答えでしょうか。
それはどのような答えなのでしょうか。
私はまだ、その答えを知りません。
それは、あなたが、あなた自身が出さなければならない答えであり、決着でもあるように思われます。
そして、結論は揺ぎ無きものとなることでしょう。
世界は必ずしも万物にとって同じように時間が流れているという訳では有りません。
なぜなら、時間の進む速度は空間における移動速度によって変化するからです。
早く移動するものの時間の進む速度は遅く、遅く移動するものの時間の進む速度は早くなります。
そんな不思議な世界に生きていながら、世界は必然で溢れ返っていると、世界は嫌なことばかりだと、そう考えて人生にウンザリしているあなたがいます。
”仮の話”は本当に仮の話なのでしょうか。私はあなたに問いかけます。
こんな不思議な世界がなぜ、必然で溢れているように見えるのか。こんな不思議な世界なのに。
やけに小さく見えるのはなぜだろうか。この広い宇宙の中に居ながら、あなたの世界はあなたの知るセカイに捕捉されているのは、そこから逃れる術が見当たらないのはなぜでしょうか。
必然があなたから”仮の話”を取り上げてしまうのはなぜでしょうか。
いつだってあなたは仮の世界に生きているのに。あなたが望めば世界は変わるのに、それを望めなくされてしまっているのです。
今から、仮の話をします。
もし、あなたが人生の失敗をやり直せるとしたら、一体何を代償として差し出しますか?
そして、どんな失敗をやり直しますか。
6時限目:趣味を持つことの意味
僕は今、宇宙にハマっています。全然詳しくないけれど、とても面白いなと思います。いわば趣味です。
毎年一つ趣味を持とうと想い始めて3年目になります。
最初は心理学でした。導入向けの教科書を一冊買ってきて読みました。
非常に楽しかったので様々な文献を読み漁りました。
次は美術でした。絵を多少なりとも描けるようになりたかったので、練習したり美術鑑賞に出かけたりしました。
更に今度は宇宙です。
高校時代から物理が大の苦手で、宇宙なんて丸っきり興味が無かったのですが、NHK宇宙白熱教室をみて驚愕しました。
実は自分は物理が嫌いではなかったようなのです。自分でも驚きです。
出来るか出来ないかでいえば出来ないですが、好きか嫌いかで言えば好きという奴です。
こうやって、何か一つだけでも趣味を持つと世界は一挙に色づきます。
様々なことを見聞きして得られる情報量も変わります。
一瞬聞いただけで理解できてしまう話も増えますし、何よりも他領域から自分が今学んでいる学問にアプローチできるようになるのは非常に有益です。
同じ時間を消費しても得られる情報は雲泥の差になります。
是非、一つだけでもいいので何か趣味をもたれては如何でしょうか?
5時限目:可能性と不可能性
あまり留年とは関係が無いお話になってしまうかもしれませんが、久しぶりにブログを更新しようと思います。
突然ですが、世の中は可能性であふれています。日々を忙しく生きている貴方にも、日々をダラダラと生きている貴方も、それはもうすごい可能性の中で生きています。
「んなことねぇべ。俺には可能性なんて何も無いんだ」そういう人も居るかもしれませんが、可能性で言えば無限大なのです。
今貴方が望めば貴方はアイドルになれるかもしれません。不可能とは言い切れません。
今貴方が望めば石油王になれるかもしれません。これもまた不可能とは言い切れません。
だから人は悩むのではないかな、と思うのです。あまりに可能性があり過ぎるのです。
小さいころからずっと「みんなには無限の可能性がある!!」とハッパを掛けられて生きてこられた方も多いと思います。間違っては居ません。可能性だけで言えば無限大であることは間違いではないでしょうが、可能性は可能性でしかありません。
「夢がねーな」そのとおり。私は皆さんに今一度夢を捨ててほしいと思っています。
どうしてそんな最低な事をいうのか!と言われそうですね。
夢を捨てろというのは、自己の再構成を行ってほしいのです。
ありもしない自分像を思い描き、成し得ない夢を抱えた人間の末路は恐ろしいものです。借金まみれになるよりも、生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされるよりも恐ろしいものです。
だって、どんなにがんばったって人生の中で何も成せず、何者にもなれず、誰からも認められず、誰一人として貴方自身を認識しない世界になってしまうんですもの。
そんなばなな。しかしどうでしょう。オオカミ少年は嘘ばかりついたあげく誰にも相手にされなくなりました。貴方はうそつきじゃないかもしれませんが、成しえない目標を掲げ、成しえない自分自身を認められずに居ればどうなるでしょう。きっと貴方は嘘をつきます。「こんな筈じゃなかったのに」と。
その嘘は自分自身に対してのものかも知れませんし、他人に対してのものかもしれません。ひとたび同情されれば、ひとたび自分でそれを肯定してしまえば、どうなってしまうのでしょう。
貴方は立派なうそつきです。それも世界で最大の嘘をついてしまうのです。成しえない夢が孕んだ爆弾というのは恐ろしいものです。
可能性があるように人間には不可能性もあります。
可能性ばかりで自らを評価しようとすれば必ずやありもしない自分自身の像が出来上がってしまいます。
それが貴方自身を蝕んでゆくのではないかな、と思うのです。
私はどうかといえば、多少蝕まれたところで踏みとどまれた気がします。
不可能な事があり、それはあまりに身近で、無いと思って居たかったものです。
でもそんな不可能な事が自分自身を前向きにしてくれています。努力するにはできない事を認めるのが第一歩です。だから一旦夢を捨てて夢を再構成して自分が神様でもスーパーマンでもない事を認め、すべき事をし続けることでしか前には進めないのではないかな。というお話です。
自分の中で可能な域や、今の自分では達成不可能ながら、達成可能性がある事について努力をしましょう。
でなければ無駄な努力になって「こんな筈じゃなかったのに」と無計画な自分を棚に上げて文句を垂れる事になりますよ。
4時限目:失敗との向き合い方
人生に失敗は付き物だ!と言うのは簡単ですが、失敗が付き物であることくらい誰だって知っています。
生きていれば大なり小なり失敗はするものですし、むしろそれを何の意味もなく一々声高に叫ぶ事ほど恥ずかしい失敗もありません。
俺が「人生に失敗は付き物だ!」叫ぶとすればどうしてそんなことを叫ぶのでしょうか。
これまた生まれて今にいたるまで幾度となく聞かされて耳にタコができているものと思われますが、あえて理由が有るとすれば、失敗と向き合うことで人は成長するという話に持っていく為ではないかなと思います。
大きな失敗にしろ、小さな失敗にしろ、その失敗の後に貴方が生きているのだとすれば、先日ティータイムでお話したように、その失敗こそが貴方のユートピアを形作る重要なパーツとなるのではないか、と思うのです。
しかし、ただその失敗を失敗のまま放置し、見て見ぬフリを決め込めば話は別ですが。
その失敗の本質を探り、その失敗を繰り返さないようにするにはどうするかを考え、色々試してみて、最終的には上手くできるようなっていく。
そうして一つ一つの失敗が貴方自身の取り得となり、自信へと繋がってゆくのではないかと思えてならないのです。
留年は大きな失敗に分類されるものだと思います。
しかし人生が終わるほどの失敗ではないと思います。
堅実に歩みを進める事の大切さというのは堅実でない生き方をして失敗してショックを受けて初めて気がつけるものではないかな、と思うのです。
もちろん、そんな気づきに達するのに必要な失敗は人それぞれだと思いますが、留年してしまったのであれば今一度自分自身を振り返り、恥じらうのではなく、その失敗を次に生かし、自分自身を磨く糧にされてみては如何でしょうか。
ティータイム:人生において大切な事。やさしさとか。
大学を出るにしろ辞めるにしろ、人生という世界を満喫する上で重要なのは”余裕”ではないかとおもう。
お金の余裕、時間の余裕、物資の余裕、色々あると思うが、ここでいう余裕というのは心の余裕である。
私は自分の中に原風景の様な物があって、それを汚さないよう生きている。それが正解かどうかはわからないが、その原風景によって癒され、柔らかく生きていられると思っている。
ふわりと暖かくやわらかい風が吹き、一面の草原が揺れる。
乾いた砂の一本道が延び、遠くには海が見える。空を見上げればいくつかの白い雲がゆっくりと流れ、遠くには入道雲も見える。
それは今の自分の対岸から今の自分自身をみていて、多分この人生という道の行き着く先からの風景なんだろうなと思っている。
いわばそこがユートピアで、たどり着くべき場所なのだろうとおもう。
この喧騒に身を窶していてどうすればそんなに喉かな場所に行き着けるのかは解らないが、多分自分は今までも、今も、そしてこれからもそういう場所に向いて一歩一歩歩みを進めているのだろうと思う。
入道雲の下は嵐だ。
その嵐も入道雲の下を抜ければ一面の青空を望める。
そんな入道雲も遠くから見ればそんな喉かな風景の一端となりうる。
世の中とは不思議なものだなと思う。
今の自分の悩みが自分のたどり着くべき場所を形作っている。
頭を悩ませる世界が自分の望む世界の一端である。
ここは美しい世界なのだ。
貴方を悩ませる雑音がいつか貴方を幸せにしてくれる。そう思えば他人にやさしくもあれるというものでは無いだろうか。
そうあれたらどれほどすばらしいだろうかと、そんな事を思う。
休み時間:最近の悩み
なるだけ悩まないように生きようとおもいつつも、悩みは出来てしまうものですね。
今朝解決した悩みなんですが、私のノートPCが頻繁に熱暴走を繰り返して頭を抱えていたんです。
原因はなんとVAIO Care
先日知らない間にアップデートしてやがったんですよ。
しばらくはおとなしかったヴァイオケアがまた悪さをし始めたらしかった。
なんちゅーかね。もうほんとね。ソニーの製品なんか買うもんじゃないですよ。
何がソニータイマーやねん。タイマーどころかわざわざブチ壊しに来る奴があるかと。
高い金払って買ってコレかよと。
このPCたしか27万位したと思うんですけどね。まぁ何年も使ってはいるけど、メーカー側がどんなに買い替えて欲しくても売ったモンは売ったモンとしてちゃんと責任ある対応をしましょうよ。子供じゃないんだから。
「買い換えた方がいい!」とかいわれても、環境を作り直すのって結構大変なのよ。
スペック的に不満は無いし。
ちなみにVAIOケアは殺してもゾンビのように生き返ってくることがあります。
3時限目:留年してしまった場合に考えるべきこと
もし貴方が既に留年してしまったという場合、考えなければならないことがいくつかあります。
ただし、考えなければならないことにも考える順番と言うのが存在します。
まず、最初に考えるべきなのは親にどうやって伝えるかではなく、何故自分はこの大学へ入り、この大学を出ようと思うのか。そこについて今一度見つめるべきです。
親に伝えるとなると、必ずとんでくる質問があります。
「お前これからどうする気なんだ」といった質問です。
対処というよりは、その質問に答えられなければ貴方のキャンパスライフはおろか、人生すべてが台無しになる可能性すらもあります。ちゃんと答えられるようにしておきましょう。
しておきましょう。と言われても、何をどう考えたらいいのか解らないと思います。
「そんなことも解らないなんて馬鹿じゃんwww」とか思っちゃう進級勢の方も居られるでしょうが、勘違いしないでください。壁にぶち当たり、前が見えなくなり、自分自身が何者かすらも見失いつつある人も居るんです。
馬鹿にするのは簡単ですが、本当に馬鹿にできると思いますか?貴方は理由を問われた事が無いだけで、何の理由もなく「大学に行って大学を出るのが当たり前だから」という理由だけで大学に行っているんじゃありませんか?
きっと就職活動で苦労しますよ。
ついでに、就職活動の生徒で志望動機が決められないだとか、大学で何を学んだか答えられないなんてのはこの質問に答えられないのと同義です。ヘラヘラ笑ってないでちったぁ自分のナリも見ろってことです。
さて、話が逸れてしまいましたが本題に入ります。
まず、大学受験のときを振り返ってみてどうして大学を選んだのかを考えてみるといいでしょう。
「なんとなく」ってだけの人も沢山居ると思います。そこをもう少しほじくってみると「受けて受かりそうなところの中で一番行きたいと思ったから」とか「自分の成績に合ってたから」とか「家から近い」とか「受かったのがそこだけだった」とか「1人暮らしがしたかっただけ」とか色々あると思います。
まず、どんなどうでもいい理由で大学を選んでいたとしてもそれを自分の中で認めてください。あの時あんな理由で大学を選んだりしなかったらこんな事にはならなかったのに・・・とか思っても仕方がありません。大体多くの学生はそんなもんです。別におかしなことじゃないんです。
じゃあそれをどうするかですけど、自分が通っている大学を出る事のメリットとデメリットを考えてみてください。
メリットだったら「国家試験を受験するにはこの学部を出なくてはならないから」とか「この大学を出た先輩が自分の入りたい企業に入れたし、色々なアドバイスを受けられる」とか、まぁ出るメリットは案外一杯あると思います。
問題はデメリットです。デメリットを全然認識しないでメリットばかり言う人がいますが、デメリットこそが重要になります。デメリットは、留年してまで卒業して何の意味があるかという問に対する答えを確固たるものにしてくれます。留年したという事実から生ずる不安から開放されるには必ずデメリットを見つめなくてはならないのです。
たとえば、これから何年もかけて友達も作りにくい中、留年生のレッテルを貼られて卒業しても就職できるような見込みがないとか、留年してまで出るような大学じゃないとか、大学で学ぶ事がわざわざ大学で学ぶ必要の無いことだったとか。
そこまできたらメリットとデメリットを天秤にかけてみてください。出る事を選ぶ人と辞めることを選ぶ人に別れると思います。
それらを決める最後の一手は必ずあなた自身が打たなくてはなりません。しかもそれを選ぶラインというのは非常に曖昧で、貴方がその一手を打って後悔するかどうかは今後の貴方次第でしかなく、難しい選択となります。
決めたら絶対に揺らがないようにしてください。もし万が一、揺らいでしまうのであれば一から考え直してください。
そこまでが済んでしまえばあとは親にブチ食らわされようがなにしようが受け止めてください。
ここで道は二手に別れます。卒業しないものと卒業するものです。
ここから先は卒業するものにとってしか意味がないと思われます。
元のルート(進級できる学生としてのキャンパスライフ)へ戻るにはどうすればいいかです。
ポイントが二つあります。
①モチベーションに頼らない事
②失敗を恐れない事
①についてですが、よく耳にする留年生の意見として「大学に入ってみると自分が思っていたような勉強ではなく、モチベーションが上がらない」という意見です。もう一度考えてください。自分が思っていたような勉強でなかったのが原因ではなく、あなた自身が弱気に成っているだけではありませんか?
とにかく新しい事が山盛りで終わる気がしないとか、そういう理由じゃありませんか?
モチベーションが上がらなくても戦える勉強方法を取ってください。何はともあれテストの範囲を終えることに全力を注いでください。
解らない事を恐れないでください。もう解らなければとにかく丸暗記でもなんでもいいので範囲を終えてください。単位認定くらいはそれで何とかなるはずです。それでどうにもなら無いなら徹底して出来た人の真似をしてください。
失敗した部分については自分のやり方へのこだわりを捨てきってください。貴方のやり方はその部分において確実に間違っていたというデータが出ているのでこれ以上続けるのは危険です。
とにかく徹底的に出来た人の真似を恥じることなく行ってください。それで大体なんとかなります。
やりたくなくても椅子に座ってください。開きたくなくても教科書やノートを開いてください。読みたくなくても読んでください。頭に入らなくてもいいので音読するなり写経するなりとにかく進めてください。
やってないのにモチベーションが上がらないとか偉そうな事抜かしてないでまずはやってください。モチベーションはやってる内に上がってくるモンです。
②についてですが、何事も計画的に行ってください。その際、失敗した場合もある程度視野に入れておいてください。そうしないと失敗した場合を考えた際の不安に繋がってきます。
ここで一つ非常に最悪なアドバイスになりますが言っておかなくては成らないことがあります。
一留した人は大学を出るまでにもう一留はするものと考えてください。
そこまで考えても先の決断を揺らがせないでください。必死で食いつけないなら卒業なんてありえません。
既に貴方は学年最下位クラスです。その段階で翌年は余裕があるとか思わないでください。ゴミなんですよ貴方は。
ここに来てまた二手に分かれました。食いつける奴と食いつけない奴です。
使えるものは何でも使ってダーティプレイでもなんでも食いつける奴は何とか成ります。
ただ、食いついていくにも留年のファクター、人間関係の問題があります。
これはある程度留年する事で清算できますが、面倒なのは大体他人の足を引っ張る奴は自分も留年してるってことです。
ぶっちゃけていいますと、そんな奴と付き合っても死ぬまで足を引っ張られるだけです。さっさと切ってください。
「いや、でも切ろうにも怖くて・・・」というなら今日からもう無視しちゃってください。何を言われても完全無視。それで変な噂が立っても構いません。学校に居づらいレベルになったならさっさと休学して1年遊びほうけるなりバイトするなりしてください。そうすれば問題ありません。
今度からはちゃんと勉強してる奴と一緒に行動しましょう。
ここまで割り切ればあとは前に進むだけです。
卒業おめでとう御座います。早すぎるかもしれないけれど。
最後に一点だけ。これは私自身がもっとも大切だと思っている事です。
自分自身を見てください。目を逸らさず真っ直ぐに見つめてください。
今の貴方は醜いと思います。汚いしカッコ悪いと思います。
どうしてそう思うのかというと、それは貴方が成りたい自分自身の理想像を持っているからに他なりません。
理想像が明確でないなら明確にしてください。漠然としているだけできっとあるはずです。
そして、具体化した上で無理な理想はさっさと捨ててください。いらない欲はさっさと捨ててください。
出来る事を出来る範囲でまずは頑張り、それらが実れば自信になり、きっと貴方は素敵な人生を送れるはずです。
私は何度も留年しましたし、そんなにカッコ良い人間ではないと思っています。先にあげた成功の布石をことごとくはずして失敗という失敗の殆ど全てをやってきたと思います。だけど今卒業できたからこそこうやってのうのうとし様も無い日記をダラダラと書いていられる。書いていられる幸せをかみ締めていられるのだと思って成りません。
皆さんも今一度、こんなちっぽけな幸せを得られるように生きてみては如何でしょうか。